昭和な人間である私藤原から見た、大きい会社で成功するために必要なことをいくつか紹介する。間違った合理主義にやられたコスパ思想の人に、しかし根っこには温かいものを持っている人に読んでもらいたい。
1,5分前行動の徹底
2,真実・誠実・謙虚
3,ビジネスはあくまでビジネス
4,形だけでもポジティヴシンキングを貫け
5,愚痴を安心して吐き出せる相手を作れ
6,コスパ思想でも構わないが、長期的コスパ思想になれ
一つずつ簡単に説明する。
「5分前行動の徹底」とは、約束や会議がったら、その5分前について準備をして待っているということだ。大切なのは、相手の状況を予測・想像し、ぴったりにするか、5分前にするかを選ぶということだ。いかにも時間に、分単位で追われていそうな相手なら、5分前から待ってはいるが、5秒前まで私は入場しない。いつでも探されたら出ていく準備はするが、自分から行くのは5秒前にする。しかし、それ以外の普通の相手や会議であれば、5分前に入場して準備万端に待っている。この継続が安定感になり、あなたの評価につながる。
アポイントを取った約束なら、自分は、前日か当日にリマインドの連絡をする。
「◎◎日にお約束いただきました日が明日になりました。◎◎時に◎◎へ向かいます。お会いできるのを楽しみにしています。よろしくお願いします。」
などの内容を、前日or当日に送る。これも5分前行動と同じことである。
5分前行動とは、ただ5分前に行くという行動を意味するのではなく、準備を十分にして、それを相手にアピールする行為である。他人の評価を勝ち取りたいなら、アピールしなければならない。人が見ていなさそうな細部も大切にすることは、とても大切である。しかし、ビジネスにおいて、相手に認めてもらいたいなら、認めてもらいたいとアピールすることが必要である。
そして、アピールは、言葉でするものではない。言葉で伝えようとすることは、それだけでは真に伝わらない。本当に伝えたいことを伝えようとするコミュニケーションは、言葉以外のものですべきだ。本気であることを示したいなら、本気の準備と心構えを行動で示すべきだ。遊びでなく本気で好きなら大切なら、その想いをやはり行動で示すべきだ。言葉は常に嘘を孕むもの。言葉でひたすらアピールしたところで、それは仮にしか相手に伝わらない。本気で伝えたいなら、行動で、その行動が示す数字や人の評価で示すべきなのだ。
「真実・誠実・謙虚」とは、NiziUのプロデューサーであるJYパークの言葉である。したがってまず、下記の動画を見てほしい。始まりから5分程度で、この話は終わる。
真実は、自分の中にあまりないので、語る資格がない。動画を見てそれぞれ感じてほしい。ただ、関連することで一つだけ言えるとすれば、うわべだけ取り繕っても、わかる人には伝わってしまう、ということだ。言い換えれば、人の口に戸は立てられぬという通り、誰かに愚痴ったり悪口を言ったりしてしまえば、それが巡り巡って伝わってしまうということだ。根っこからそう思えるように自分を納得させて変えなければ、うわべだけのごまかしは長くはもたない。これは、長期の深い関係においては、どこでも同じだ。
誠実について自分が言えることは、若いころの苦労は買ってでもしろ、ということだ。自分は、現代文と小論文の講師としては十分に評価され成功していると自己評価しているが(もちろん、世間的には大した成功でない)、若いころの下積みは十分にした。
アルバイトながらボランティア労働もたくさんした。暇な時間はスーツを着て勤務でもない日に塾に行き、生徒たちに挨拶したり、質問対応したり、休み時間の相談にのりながら、授業を見学し、深夜にまでわたる社員の業務の手伝いなどをしていた。保護者会の準備等すべて無給労働であったし、深夜までかかる本部に提出する資料作成なども、周りには「いいように使われているだけだ」、とか「やりがい搾取にやられているだけ」、とか「ブラックバイトにはまっちゃって」とか言われ放題だった。
もちろんこれらは、自分が好きでしていたことだった。雀荘に通ったりゲームにはまったりはしていたが、きっと当時の自分にはほかに心から楽しいことがなかったのかもしれない。ただ、今の自分のベースを構成しているものは当時学んだものである。無給でやりがい搾取のように見られていた時間と経験が、今の自分の技術と力になって、いい仕事を作っている。
そして当時の自分は、そうなることを想定して、「ボランティア労働」を喜んでやっていた。目の前のコスパは悪くとも、必ずこの分は還ってくる。生徒たちの喜ぶ顔や保護者からの信頼になるのかもしれない。将来先生業をやるとしたら、その時役に立つかもしれない。そう思っていた。だから、コスパ無視の奉仕活動、ボランティア活動をしていたのではなく、長期的コスパでみた「投資行為」を行っていただけとも言える。
このように、損得抜きで相手のことを考えているように見える行為と、短期的コスパを捨てて長期的損得勘定で考えて行動することは、同じことである。だから、無償の愛を分かち合う善人になろうとする必要はない。そうなれない自分を嘆く必要もない。人間は利己的なものである。ただ、その利己を、もう少し長期的スパンで考えられるようになるといいと思う。それが自分の考える「誠実さ」である。
謙虚さに関しては、パークの言っていることをそのまま引用する。
「自分自身が足りないと思って、隣にいる皆の短所を見ないで、長所だけを見て心から感謝すること、それが謙虚です。」
まったく自分にできていないことばかりで、書いていても動画を見ても学ぶことばかりだが、parkの言う通りだと思う。人間とは、弱くて卑しいもので、自分のことばかりを考えてしまいがちなものだ。それ自体は悪いことではなく自然なことだ。しかし、そうだからこそ、パークの言うような人間性を獲得できれば、それはとても評価されるものだ。
よほど愛にあふれた環境で育ってこない限り、