7/6 深夜一時

 前に書いた、自分が見ているドラマが最終回を迎えた。坂元裕二の恋愛ドラマ。

 その最終回をみてしまうのがもったいないから、3日前くらいに見た、一つ前のものから見返している最中、何かを書きたい衝動に突き動かされている気がして、パソコンを開きながらドラマのセルフ再放送をみている。

 そして、そのうち、リアル最終回になって、たしか、だけど、何らかの感動の中に包まれていったように思う。そこまでの二時間くらいで、書いてみようと思う。とりとめも、狙いもないけれども。

 近年自分がよく言う言葉がある。
「もう私は、仕事年齢としても、実年齢としても、とうに折り返し地点を過ぎています。」

 この言葉は、これまた自分が好きなドラマ「ハゲタカ(NHK版)」に出てくる台詞である。
 そういえば、いつもお願いしている税理士さんに言われた言葉も関連する。4年前くらいだっただろうか。

 「藤原さんは、まだもう一勝負できる年齢ですよね。」
 で、そこから数年消費した今、己の気力と体力の衰えを感じている。そうか、そういうことだったのか、と思った。

 前に書いたように、毎年3月から数ヶ月元気がなくなる。動画の更新を見る限り、去年は半年近く、だったのかもしれない。若かりし頃は、3月4月にとても激しく凹んでいたが、回復は早かったように思う。それがこの数年回復に時間がかかり、それは甘えとか怠けなのだろうと考えて、今年は仕事も「勝負どころ」なので、人を巻き込んでがんばろうとした。

 でも、そろそろいけるかな、と思ってから1ヶ月くらい、徐々に一歩ずつ進めてはいるが、最低限の仕事も生活も野球はフルマックスにできてはいるが、それでも始動できずにもがいている。
 これもただの怠けで甘えなだけなのだと思う。そしてもう少したって回復すれば、ますますそう認識するのだろうと思う。そして、事実そうなのだろうと思う。

 でも、もしかしたら、もう昔の若い頃のように、プロレスの「ストロングスタイル」のような、仕事とか先生はできないのかもしれない、と思った。気のせいなのかもしれないけれども、また来年も同じようであれば、その時忘れているだろうから、記録しておこうと思う。

 気力や精神力においては、自覚がそれほどないけど、そういうことなのかもしれない。
 激しく傷つけたり傷ついたり、たとえそれが「正しい」ことであっても、軋轢が生じると、周りによく思われないと、わかっているのに自分を貫いて後悔したり、そういうめんどくさいことでも、それに負けずにまっすぐ進んできたつもりだけれども、そういう生き方はもう厳しいのかもしれない、ということかも、と仮説を置いてみた。

 速球派の本格派ピッチャーが、ベテランになっていく過程で、軟投派にシフトしていくように。自分も生き方、生きざまを軟投派に変えるべきシグナルがなっているのかもしれない。そう考えて振り返ると、そう見える現実がたくさん見えてくる。無理をしてギガシャキ飲んで仕事ががんばれなくなってきた。授業で全放出した後の電車は、「授業後うつ」状態に陥るか、その日の睡眠時間に関係なく寝てしまうか、どちらかである。ネガティヴシンキングに飲み込まれていなければ寝てしまう、と言ったらいいだろうか。「授業後うつ」が怖くて、最後の授業で振り絞る勇気がわかなくなっている気もする。

 全部気のせいなのかもしれないけれども、きっとそうなのだろうけれども、ちゃんと記録しておこうと思った。もしかしたらこれは、もうすぐこんな感じじゃなくなるから、記録しておこうと思ったのかもしれない。

 今、ドラマ最終回が終わりつつある。ちょうど二時間くらい経ったらしい。自分はこの、「いつかこの恋を思い出して泣いてしまう」で好きな役は、

1,高畑充希
2,西島隆弘

である。なんでかは言語化する気にならない。好きってそういうもんだって、ドラマの中でもいってた。

 そういえば、自分は草野球にこの2年ぐらい嵌まっていて、今はたまにピッチャーをやらせてもらえている。
 そのピッチャーとして、自分は今、本格派を目指してがんばっている。コントロールや変化球ではなく、ストレートを磨き、次の登板機会では、打たれても本気のストレートで勝負し続けようと思っている。

 だから、そういうことなんだと思う。
 

難関私大文系予備校「増田塾」の元教務部長。 現在はオフィス藤原を運営しつつ、増田塾に現代文・小論文講師として出講している。