受験を終えてこれから大学生になるみなさんへ

chapter1 Are you hungry?

 受験結果の報告をしてくれるときに、これからの大学生活で何がおすすめですか?何が大切ですか? とよく聞かれるので、ガチで書いてみようと思う。

 この受験の一年は、目的が一つに定まっていてシンプルなものだった。早慶行くぞ、とか、できるだけいいとこ行くぞ、とか、志望大学や学部が決まっていた人がいたのかもしれない。

 しかし、これからは、そのような決まった目標があるのではなく、もう少しぼんやりした、抽象的な目的、目標のもとで、生きていくことになる。

 君は、何か目標とかある? やりたいこととか、将来こうなりたいとか。

 たとえば、ちょっと田舎に一軒家をもって、そこで家族でぬくぬくと、休みの日はボケーっとみんなで散歩するような人生とか。最近自分もこの境地に辿り着いてきたかな。

 たとえば、仕事で使える人間になって、小さくてもいいけれども、社会を変えた、自分はこれを成し遂げたという実績を作りたい、とか。自分はこういうのはなかったな。

 もしくは、好きなアイドルとか推しとかチームがいるから、それをガチで応援し続けられたらしあわせ、とか。自分は、最近こういうのがわかるようになって、応援するのが楽しいと思えるようになってきたな。
  

 そういうのある? 何もない人もいると思う。何かはあるけど確かなものではない人もいると思う。ちゃんと書くことしてある人もいると思う。

 自分は20歳当時は、いい先生になって、もっと生徒たちの受験結果や人生を変えられるようになりたい、と思ってたな。徐々にそのいい先生が、学校の先生から塾の先生に変わりつつある時かな。結構目の前に流されてしまうから、大学の単位とかテストよりも、目の前の生徒対応とか、授業を優先しちゃってたな。もちろんそれは、逃げでもあり甘えでもあるんだけれども。

 それでも、今いる目の前の、悩みもがく生徒や保護者達の力になりたい。目の前の人たちに差し出せる技術やエネルギーがまだあるなら、未来なんかより今目の前に力を尽くしたい、そう思っている自分に徐々に確信してたな。

 自分自身のコスパや将来的意味よりも、目の前のことの方が大切に想えて、その「今」に応答できるかどうかこそが大切で、未来や先なんて、後回しだろ、って思っている自分が、自分自身にとって真であることを確信していたと思う。そうやって生きていたら、気付いたらこうなっていた。学校の先生ではなく、そのまま悪く言えばズルズルと塾・予備校の先生になって、よりよい世界と指導を作りたいと自分で塾を作ったり、いい出会いがあって「増田塾」に入社したり、そして今また、違うやりたいことを見つけて、自分で始めたりしてきた。

 悪く言えば、ズルズルと計画性なく来てしまったけれども、これはこれでよかったと思っている。違う道もあったと思うし、それもしあわせだったのかもしれないと思うけれども、でも今もっているもの、今自分にあるもの、今自分ができることも好きだから、これでもよかったと思う。

 正解なんてないし、答えなんてない。それは後から作っていくもので、事前に決まっているもんじゃない。
  

 長くなったけど、話を戻して君らは、何か目標とか、欲しいものとかある?

 あるなら、それに向かって進めばいい。何したらいいかわからないなら、ここからたくさん書くから参考にして、ほしい未来のために、自分を磨いていったらいい。

 ないなら、こっちの方が令和の時代は多いから、そんな心配するな。就職活動も、それほどの動機や目的もなく突入する人も多いよ。それは悪いことじゃない。まだ出会っていないだけ、見つかっていないだけだから。焦って設定したところで、それが真なるものでなければ、意味はないし出会いを狭めるだけ。就活になったなら、確たるものがなくても設定する必要は出てくるけど、まだこれから大学生なら焦る必要はない。何も目的がなくても、何もやりたいことがなくても、それでいい。

 どちらにしろ、話は変わらない。大学生になってやるべきこと。
 
  

chpter2 一球入魂

 どんな自分になりたいか、どんな未来が欲しいか。抽象的に答えれば、こうならない?

  • しあわせをたくさん感じて生きていきたい。
  • いい出会いに恵まれ、暖かな人間関係の中で生きていきたい。
  • 人に、社会に認められたい。

 まだあるかもしれないけど、この3点ならだれでも共有できるでしょ? じゃ、こうできるために何をすべきか、を書いていくね。

 twitterにあるげた画を二つ見てほしいんだ。まずは見てみてもらっていいかな、まだみてないなら。合計30分くらい。ジョブスとつとむ。
  

一つ目(英語話せる人用) 一つ目(英語話せない人用)
  

二つ目
  

 さて、ちゃんと見て受け取ってくれたら、あまり自分に語ることはないかもしれませんね。でも同じことしか、劣化版しか言えないと思いますが続けます笑

 この二人に共通する考え方は、短期的コスパ思想を捨てる、ということだと思います。そして、自分にとって意味があって将来役に立つことだけでなく、無意味無価値に思えて自分にとっては役に立たないものでも懸命にやる、ということだと思います。

 短期的コスパだけを考えて、目の前の楽や楽しさだけを求めて、そうでないものを切って生きている人が多いです。ほとんどかもしれません。めんどくさいor気まずい相手はブロックorミュートして切る。人に頼られても、自分にメリットがなくてめんどくさいorお金にならないことは体よく断る。そうやって生きている人がほとんどです。そしてそれは悪いことでも責められることでもありません。

 ですが、そうではない生き方をしたら、今までは見えなかったものが見えてきます。コスパ思想ではたどり着けない世界があります。これが、自分が皆さんに伝えたいアドバイス1つ目です。

 自分の将来設計がないならなくていい。自分にとってそれが価値あることか役に立つことか、それもどうでもいい。大事なのは、あなたに回ってきた役回りを、あなたがしっかりこなすことで喜んで少しでもしあわせになれる人がいるかどうか、です。

 目の前のことに、巡ってきたやるべきことに、与えられた役回りに、それがだれかの役にたって喜んでもらえるなら、それが誰かの小さな幸せにつながる、悪いことでないならば、それに懸命に生きていってください。その姿勢と仕事を、誰かが見ていて、もしかしたら神様的なものが見ていて、応じてくれます。評価してくれます。

 この一年で言えば、罰則で机拭きをさせられるとき、それに納得していようがいまいがやらされるなら、「どうせならみんなに喜んでもらえるようにきっちりやろう」とか、「ちょっといい匂いになるように洗剤まぜてこ」とか笑、そういう行動です。

 自分は、「どうせやるorやらされるなら、いい仕事を作ってやろう」といつも思います。皆さんも、そうしてください。

「時給以上に一生懸命働いても無駄だ、意味がない」「こんなところで善行積んでも、誰も見てないし意味ない」

 たしかにそうです。でも、同じ時間かけて働くなら、いい、細部に神を宿らせに行った仕事をしたら、それが次につながるかもしれない。誰かがほめてくれるかもしれない。

 次へのつながりやほめられることを期待してやるんじゃない。そうなったらいいな、と思いながら、でもどうやってもたいしてエネルギー変わらないからがんばろ、と思ってやる。

 自分は、これに加えて、プロとして、先輩として頼られることが多いから、そのプロの矜持たるものがここに加わるんだ。たとえば最近やっている大学分析や補欠繰上分析も、ある程度までは広告効果になると思うけれども、私生活削ってまで追求して神を宿らせに行って、めんどくさいな、やだな、もう投げ出したい、もうよくね? といつも思う。

 でも、待っている人の顔と気持ちを想い、お前やるって言っただろ、と自分を激励し、お前プロだろ、そう言ってるんだろ、そうみられてるんだろと自分を叱咤し、ようやく自分は動く。だから、自分の根っこはコスパ思想で、小さな損得勘定で動く人間なのだとも思う。

 でもそれでいい。そんな善人である必要はない。善人でないからこそ、同じく弱くて逃げちゃう人たちに寄り添える。上から目線で下げずまずに、そういう人と共感できる。だって自分も根っこは同じだから。

 根っこは同じだったから、だから君らにも強く言える。人は変われるもの。根っこは変われなくても、それがどうした。自分は本物のプロフェッショナリズムはもっていないかもしれない。プロフェッショナルの流儀を見ていていつも思う。2流にもなれない3流な人間だと思う。

 だからどうした。いや、だからこそ、3流な中身しかない人間だからこそ、活きることがある。活かせる道がある。それが自分に与えられた天命で、自分にしかできないことだと思う。

chapter3 間違い探し

 「間違い探し」という曲が好きだ。間違い探しの正解の方じゃ出会えなかった人たちが、場所があった。そしてそれらは自分にとってとても大切なものだから、だから「間違い」ではなかった。そうあるべきだったんだ。この動画を聴きながら下を見てもらえるとよりシンクロできると思う。

 「当たり前のことが当たり前にできること」 プロフェッショナルで学んだこと。これが1流の条件。誰にもできないすごいことをしようとする前に、当たり前のことを当たり前にできるようになれ。そう学んだ。ほんとうにそうだ。いいお店に行けば、当たり前のことで不快にさせられない。挨拶とか、配慮とか、応答とか、そういうところがちゃんとしている。

 でも、これも自分はちゃんとできない。ちゃんとしようとしているけど、それでも適当になってしまう時がある。なぜなら、1流でないからだ。でも、だからどうした。2流3流だからこそ、その能力しかもっていなくても、でもそれでも、だからこそできる境地がある。見える未来がある。1流にはわからないものが自分には見える。そして、そういう世界が、そういう自分がぼくは嫌いじゃない。

 長期的コスパ思想と、損得考えない思想は、同じものだと思う。根っこにボランティア精神があろうとも、根っこで長期的な損得勘定があってそれに期待しても、それは同じことだと思う。自分は後者だと思って生きているけれども、周りにはそうはみえないみたい。もう自分の根っこがどっちなのかもわからないし、どっちでもいい笑

 短期的コスパで生きていくな。それは長期的に損をするからだ。その因果関係が君らにはみえないかもしれない。でも、ぼくには見える。多分君の周りにいる、成功してるかしあわせそうに見えるかの人も同じことを言うと思う。結果的に巡り巡って帰ってくるもの。

 ずるくて狡猾なやなやつが得をして、優しくてひとのことを慮れるいいやつが損をしてばかり、というのは、表面上の短期的な世界だけだ。もっと奥深いところで、逆の流れが還流している。あなたがつながりたい、たどり着きたいしあわせやいい人たち、いい場所は、もっと奥深いところでしかつながれない。目の前の仮の姿だけ追っていると、大切な出会いを逃してしまうよ。

 というわけで、目の前に訪れた、やるべきと思えること、そのあなたのがんばりで喜ぶ誰かがいることを、その役回りが回ってきたなら、それに懸命に生きなさい。今自分がやるべきことも、目標もないなら、それを続けなさい。そうしているうちに見つかってくるor手を引っ張ってくれる出会いが君に訪れる。そしたら、これだって思えたら、そこに懸命にがんばりなさい。

 なんか、当初の予定(具体的なやるべきことアドバイス)とまったく違う、いつも言っていることと同じことの繰り返しと自分語りになってしまった気がするけれども、ちょっと恥ずかしいものになってしまったかもしれないけど、これはこれでいいものかもしれないと考えて、今回はこれで終わる。実用的なアドバイスはまた後日に。

 あまり格言的なまとめ方はできないけど、何かが君に伝わるといいなと思う。

 受験生卒業と大学進学おめでとう。

2021.3.22 藤原 貴浩 
   

 (途中、「ですます調」がまざり文体不一致ですが、表現として意図的にそうしています笑)

難関私大文系予備校「増田塾」の元教務部長。 現在はオフィス藤原を運営しつつ、増田塾に現代文・小論文講師として出講している。

2件のコメント

  1. こんばんは、古橋です。

    大学がどのような場所なのかほんの少し不安がありましたが、何とかやっていけそうな気がしました。

    また、人生経験が浅すぎる私にはまだ難しいお話でしたが、やると決めたことには一生懸命、後悔しないように打ち込もうと思いました。

    好き嫌いの話で少しお話をさせてください。
    先日、5年前くらいに食べてからずっと嫌いで、それから一切口にしなかったパクチェ?(くせのある葉っぱ)を食べました。

    食べると相変わらず後味が苦かったのですが、
    その苦味が少しクセになりました。

    これは「嫌い」がはっきりしているからこその感想だと思います。
    もしいつも普通に食べているキャベツだと特に何か感じることはないからです。

    たしかに苦手なものは拒絶しすることはよくないことですが、好き嫌いをはっきりさせることで気づかされることもあるみたいです。

    18歳のピチ・ピチ子が新しい考え方を発見したので共有させていただきました笑

    なんだよこいつ、俺の時間また浪費させやがってと思われているかも知れませんが、
    藤原先生のハイスピードの読みでは
    このくらいなんて事ない気がするので少しお話させていただきました笑笑

    これからも先生のツイートに❤️とリツイートをガンガンしますので、どうかお許しください。

    1. 古橋さん。ここはコメント欄なので、私信ではなく、公開されてしまうのですがこの内容はOKですか?笑

      さて、パクチ「ー」笑は、日本人の67%以上の人が嫌いです。だから、もう少し普通の嫌いな野菜からがんばりましょう笑

      読む時間や手間は大したことないので、また暇な時にコメントとかメールで続きの報告をください。

      楽しい大学生活を送ってください。

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